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since 8,Aug,1999

ファミコン四方山話

 FCに関する四方山話を。暇つぶしに書いたり、日記の移動だったりする。

購入した頃の流れ
ゲームソフト
周辺機器
現在

購入した頃の流れ

 FCといえば1983年発売だったかと思うが、当時我が家にはそれは存在しなくて、ほぼ同時期に発売されたSHARPのMZ-700(正確にはMZ-721)というPCがあった。いきなりオフトピックになってしまうので詳しくは書かないが、アセンブラとBASICが動くもので、ベーマガのゲームを打ち込んだり投稿したり、いろいろと今の自分のマニアっぷりの基礎になっているものだ。新しもの好きな親父がある日突然買ってきたのだが、親父は最初だけ自分で触って、あとは3人の息子、つまり俺たちに預けられたわけだ。親父は俺たちがどのように使うのか興味があったようだが、ゲームが欲しいといえば(たまにだが)ゲームショップに連れて行ってくれたり、周辺機器(PCG-700)も買ってくれた。だから、子供たちが飽きずに遊んだりするのを見て満足してたんだな。

 ところが1985年の初夏。突然兄弟3人で「ファミコンが欲しい」と言い出した。新しいPCが欲しいとは前々から言ってはいたのだが、ベーマガでSHARPのX1の広告を眺めて値段にため息をついていた3人にとって\14,800(当時消費税なんてものは存在せず)のファミコンは魅力的だった。兄弟3人で金を出して(といっても末弟の俺は\2,800しか出してないが)、ファミコンを買ってしまった。一緒に買ったソフトは「ちゃっくんぽっぷ」と「ベースボール」で、小学生が親に相談もせず総額2万円を超える買い物、これが親父の逆鱗に触れたらしく、兄弟3人揃ってビンタを食らい、1ヶ月くらいは気まずい空気が流れたものだ。

 やがて夏休みになり神戸から従姉妹が遊びに来たときには従姉妹と一緒にFCで遊んだし、年末には親父もたまに遊ぶようにはなった。親父は容赦なくガチで勝負して何度も負かされたこともあるが、基本的にはゲーム機で遊ぶことにとくに偏見はなかったんだと思う。
 しかし兄貴たちは高校受験があったり、夜遅くまでゲームをするような年頃になって両親の締め付けは厳しくなり、ファミコン本体を隠されたりすることが頻発してきた。当時は家にたくさんTVがあるような状況ではなく、居間や爺さんの寝室でしかゲームなど出来なかったが状況に追い討ちをかけた。

 結局最後は親のほうが折れて、よほど学業の成績が下がったりしない限り怒られることはなくなったが、夜遅くまでゲームをしていて怒られるのはさすがに嫌だったので夜はやらないようにしていた。成績が下がることもなく、そのままゲームが生活に溶け込むような状態だった。

 自分がFCを買った1985年当時、既にファミコンはゴムボタンではなくプラの丸ボタンに変更になっており、このコントローラは都合3年持った。兄弟3人+αで強烈に使いつづけた割には、だ。しかしガキの浅はかさというか無遠慮の賜物というか、2年でACアダプタから出ている出力ケーブルの根元が先に壊れ、ゲーム中に電源が切れることもしばしば。結局3ヵ月後に分解して再結線して直したが、そのときは親父に半田ごてを借りに言って自分で直そうとしたら「俺がやる」とかいってあっという間に親父が直した。でも本当は、しょっちゅう隠れて使っていたので半田ごてなどお手の物で、自分がやりたかったゆえに2〜3日の間ぶーたれていた生意気なガキだった。ちなみに壊れたコントローラのほうはといえば、その頃は近所でコントローラのゴムが売っていないほど田舎だったので、高価な(といっても\1,000だが)コントローラ本体を買ったのはまだ覚えている。その後近所の書店でも在庫を置くようになったが。


ゲームソフト

ドラゴンクエスト

 DQを初めて見たのは、友達の家だった。1986年5月当時、ソフトの値段は\4,500〜\5,800、小学4年生には大金で、年に2本買えればいいほうだという状況だったが、兄弟3人合わせて7〜8本は買っていたのでそれまでは事足りていた。ところが世の中にはいろんな家があるもので、年に10〜15本ものソフトを買ってもらったりするヤツも必ずクラスに一人はいて、そいつの家に2〜3ヶ月に1回遊びに行くたびに新しいソフトを見たような記憶がある。
 結論から言うと、このドラゴンクエストは凄かった。当時PCでもそのようなゲームは結構あった(86年には既にPC版ウィザードリィのピークすら過ぎていた)が、簡潔な操作性、瞬時の読み込み、綺麗な画面もあいまって、凄くショックを受けた。FCでしかゲームをやっていない人がDQを見たときも相当な衝撃だと思うが、俺は何か違う驚き方をしていたはずだ。逆にディスクにデータをセーブ出来なくパスワードを使うということが二重に驚きだったが。

 それでもDQは謎解きも難解ではなく、兄弟でFCを使っていることもあり一人でずっと占領するわけにも行かず、兄弟であーでもないこーでもない言いながら進めたものだ。87年1月にはDQ2が出るが、これも下の兄貴と別々に一人で始めたものの、ロンダルキアを突破するに至ってレベル上げの必要性を感じ、FCを一人で占有する罪悪感から2人合流することになる。2月に風邪を引いて学校を休んだ日に水門の鍵を見つけたことは今でも覚えていたりする。

 ところが88年2月に出たDQ3が衝撃的だった。バッテリーバックアップ搭載で冒険の書(つまりセーブポイント)が3つ。しかもパーティの組み方から進め方まで自由度が高かったので、早速兄弟で競争が始まった。末弟の俺はあくまで不利だったので、兄貴二人が夕方以降FCの奪い合いをするのを尻目に、早朝プレイでリードを気付いたが、やはり毎晩4時間以上のプレイ時間を確保できる長兄が最初にクリアしてしまった。やがて下の兄貴は冒険の所が消えて脱落したが、俺はあとからクリアするまでやりこんだ。
 DQ2当時はまだソフトの入手もチョロイものだったが、DQ3発売一ヶ月前から既に品薄の噂が流れ出し、予約するという結論に至ったのは3週間前だった。しかし近所の店では30個しか入荷しないのにもう予約で一杯だというから途方にくれたが、その店のオヤジに「どうも最初のほうに予約していた子が二重予約っぽいからキャンセルになったら電話あげるよ」と言われ、スゴスゴと帰ることになる。
 発売日当日、その店に朝から乗り込んで待ったが、夕方までは予約のキャンセル扱いにはしないからと追い返される。結局夕方に電話がかかってきて「すぐ取りにきて」とだけ言われた。なぜそうなったのかが未だに謎だが、危うく手に入れたDQ3は長く楽しんだ。買いに行ったその日、東京ドームでヘビー級王者タイソンがダグラスに負けているのをその店のTVで見たのは覚えている。
 ゲームのサントラ、関連書籍等、かなり金をつぎ込んだが、その辺でも楽しめた。当時オールナイトニッポンのDJであった鴻上尚史もDQ好きで、エンディングテーマに詩をつけて歌ったCDを出したり、シンセアレンジしたDQ曲を番組内でやたら使ったりしていた。この番組を聞きたいがために、AM/FMラジオチューナーを購入し、電波の弱い岩手でもクリアに聞こえるように、やたらデカイアンテナを張ったものだ。

 DQ4は間があいて1990年2月の発売。この年はもっと危険で、近所の店は発売日決定のニュースと同時に予約に走った人が多く、自分が動き出したときは既に全滅。当日量販店の行列に加わる作戦を取ったが、近所に量販店などないので、兄貴に援助を求めることになる。車で20分ほど走ったところの量販店に朝7時に着くなり行列の最後尾に。前を数えると・・・自分は12番目。兄貴の報告によるとシャッターの張り紙には「本日の入荷は12個」と書いてあったのでホッとしたが、途中で割り込み→喧嘩という事件があったりと結構ヒヤヒヤものだった。余談だが、これの裏技(アイテム増殖)を見つけてファミ通に送ったら掲載はされなかったがガバスが送られてきたので、これはWiz購入に贖われた。
 このDQ4の時には下の兄貴が上京しており、上の兄貴とは別々にゲームをする習慣がついていたが、兄貴は殆どやらなかったようだ。というのも、兄貴は二人ともこの頃既に就職しており、ゲームをやる時間が潤沢だったのは自分だけだった。そして自分の部屋にはこのころ既にTVがあり、もはや邪魔をするものが何一つない自分にとってDQ4は一番時間をかけたゲームのひとつであった。・・・が、意外とこのゲームは記憶に残っていない。AIバトルという触れ込みの自動戦闘がお馬鹿すぎたから攻略に時間がかかっただけかもしれない(笑)。これを最後にDQは新ハードに移行するとともに、1作出るのに3〜5年という超大作になってしまった。
 余談だが、横山光輝と吉川栄治の三国志を読んだのはこの頃で、DQ4のサントラを聞きながら読んでいたものだから、DQ4の戦闘の曲は凄く撃剣響き渡る戦場のイメージが未だに残っている。まぁDQ4のサントラはオーケストラだから、三国志に何の問題もなくマッチしたとしてもまったく不思議ではない。

 ファミコン版に限ったものではないが、DQ好きに100の質問をここに置いておこう。

ファイナルファンタジー

 FFは初出が87年12月、つまりDQ3の2ヶ月前である。このときはDQ3資金の確保、それにRPGに限ってはひとつのゲームだけを数ヶ月やるというゲームのやり方もあり、ずっと保留していた。しかしDQ3がひと段落ついた88年の秋、当時の友達K君の家に遊びに行った際に彼がやっていたのを見て思い出し、「あ、これ買わなきゃ」と言ったら彼がすぐ貸してくれた。彼はこのゲームの難解さに音を上げており、ギブアップ宣言だった。そのときに「クリアしたらデータ残して返してね」と言われたので3ヶ月かけてクリアした後返したら、そのデータを見た彼はひどく感心していた(どこにどう感心したのかよくわからなかったが)。以来、彼とは結構仲良くなった経緯があったりする。
 FFは確かにヤック・デカルチャで、DQとは凄く違ったシステムだった。こちらのほうが遥かに洗練されたシステムではあったが、多様な乗り物、グラフィカルな戦闘、ちょっと不親切な謎解き、序盤から簡単に死んでしまうし、死んだら即リセットというシステムもあり、身の回りでは人気こそそこそこあったが、最後までプレイした人は結構少なかった。ちなみに、クリアしたのは88年11月。つまりFF2発売直前だった。金曜日、学校に出かけたとき傘を忘れてずぶ濡れで帰ってきた後、ラスダン攻略一発クリアしたのを覚えてる。週末は風邪で寝込んだ。岩手の秋は寒いのだ!

 FF2の発売は88年12月だが、これは前作のヤック・デカルチャどころではなく、凄く不思議なシステムだった。経験値が上がれば段々と強くなるシステムと違い、武器・魔法・盾に個別の熟練度が設定され、プレイヤーによって千差万別のキャラクターが出来上がるいいシステムだったと思うが、これのおかげで身内ではギブアップ続出。知ってる限り近所では俺が最初にクリアしたのだが、西でスライム(武器攻撃がまったく利かない)に勝てないといえば行って魔法の使い方を教え、東でダメージくらい過ぎて死ぬと聞けば行って盾の効果を教え、いろんなヤツにいろんな質問をされた。まぁその殆どは攻撃魔法属性と盾の効果が原因なわけだが、盾の効果のわかりづらさのせいで最後のダンジョン(パンデモニウム城)でデスライダーに殺されるヤツが多く、よくこの件について質問された。個人的には凄く楽しめたゲームだと思ったのだが・・・。
 余談だが、このゲームのラスボスが発する「ウボァー」は今でも語り草だが、俺的にはゴートスが言い放った「こんなところに はんらんぐんが!」のほうが強く記憶に残されている。主人公たちは城門から(本当に)まっすぐ歩いていっただけで、司令官の馬鹿丸出し度合いが非常に笑える。
 FF2のサントラは2種類あって、ひとつはオーケストラのアレンジがなされたもの。凄く荒削りだが記憶には残っている。当時カセットテープ版を買ったのだが、今思えばCD買っておけばよかったと後悔。もうひとつはオリジナル版の最初と最後にシンセアレンジ曲が入ったものであるが、これはたいしたことなかった。

 FF最後のFCソフト、FF3は1990年に登場。ジョブチェンジシステム(余談だが、FF1はクラスチェンジと呼んだ)が導入され編成上の自由度が増し、またイベントや攻略ポイントにあわせてジョブチェンジするなど、プレイヤーが出来ることは増えた気がするが、ストーリー面では逆に一本道になった。FFは以後この傾向が強化されることになる。
 ゲーム内容面ではまったく楽しめたゲームだったが、このころから攻略本の存在が当たり前になり、アイテム収集や細かいギミックなどすべてを自力で堪能するのが難しくなったこともあり、あまり印象に残ったゲームではない。BGMをアレンジ収録したCDはとても好評で、俺も好きだったりする。

 ファミコン版に限ったものではないが、FF好きに100の質問もここに置いておこう。

デジタルデビルストーリー女神転生

 今、クイズマジックアカデミーの順当てでこれが出ても意外と正解率の低いこのゲーム、当時ナムコから発売されたけどかなりハードなゲームだったから身の回りでは全然やってる奴がいなかった。FF同様、買って即投げ出した奴から貰ったといういつものパターンで手に入れた。
 3Dダンジョン自体は既にウィザードリィの経験があったので全然問題ナシ、マッピングもOK、普通に考えれば攻略には何の支障もないはずだが、こともあろうかこのゲームはパスワード制なのだ! しかも当時では考えられないほど長い! なので、夏休みに強行攻略という方法でしか先に進めなかった。夏休み前から2週間かけて低レベルモンスター合成のテーブルを作って、夏休み前半2週間使い切ってようやくクリア。長かった・・・。当時ルーズリーフで10枚の合成表と5mm方眼紙30枚のマップを作ったが、これはどこかへ消えてしまった。合掌。

ウィザードリィ

 WizがFCで発売されたのは1987年末のことでFFと同時期のことになるが、DQ3やFFに注目していたのと、PCでやったことがあるからというのであまり買う気にはなれないでいた。ところでDQ3やFFが終わった後で「Wizはいいよ」と言う人がいるものだから買ってみたら、凄く面白かった。なにせ魔法を使うのでもダンジョンを歩くのでも、ジョイパッド一個で何でも出来たのだから。実は俺はカーソルキーなどを使うPCゲームはかなり嫌いなので、これは凄くいいことだった。
 しかもFC版Wizはバランスや日本語訳(PC版は訳が出鱈目だった)、オリジナル要素等も素晴らしく、PC版を一通りやった俺でもかなり楽しめた。結局3作すべて買ったが、ターボファイル2の存在もありなかなか長く楽しめた。個人的には魔法とモンスター名だけ英語でやるのが、ストレスがたまらず雰囲気もあってちょうどいいバランスだろうと思う。
 周辺機器的には、アスキースティックL5(片手用コントローラ)がWizをターゲットにしていた商品のようだが、結果的にこれは当たり商品にならなかった。もちろん俺は買ったが、身内にもすこぶる不評だった記憶がある。ちなみにWizも#1だけはサントラが存在するらしいが、手に入れられなかった。すごく欲しい。

スペランカー

 ようやくRPGでないゲームが出てくることになったが、最初はスペランカーである。ブローダーバンドが製作したこのゲームはアイレムによりFC版が発売され、良くも悪くもFCを代表するゲームのひとつである。ゲーム内容はそのものずばり洞窟探検なわけだが、身長の半分くらいの落とし穴に落ちるたり下り坂で走りながら飛び跳ねたりすると死んでしまうのでよく虚弱体質と揶揄されたりするが、洞窟探検家としては下り坂でジャンプなどして怪我をしたり、落とし穴には一撃で死ぬようなトラップがあるだろうとか、よく考えれば至極もっともな設定でもある。
 世間の評価的にはクソゲーと評価されるこのゲームも、結局のところ好きな人も多く、クソゲーとしてすら名前が挙がらないようなゲームに比べればよほど遊べるゲームであるし、俺自身は7週目に突入するまでこのゲームに熱中した記憶はある。
 関係ないが、自分の工作でLEDが足りなくなったとき、スペランカーのカートリッジについている電源インジケータを流用したことがある。

いただきストリート

 いわゆる「モノポリー」であるが、株という概念の持ち込みによりその特色を誇っているいただきストリートは、1991年の発売。高校受験前にこんなものを買ってしまう自分も自分だが、この頃には親は何も言わなくなっており、学業の成績も維持していたため一日中やっていたこともあった。
 もともとボードゲーム好きだったこと、部活を引退してヒマになったこともあり、週に2回、同級生がウチに寄って数時間ゲームをやって帰る習慣がついたころの対戦ゲームでもあった。他にはボンバーマンやモトローダー等、対戦アクションがメインだったが、土曜の午後はいただきストリート等シミュレーションも多かった。

 BGMはFC本体の音源のみで再生している割にはとても綺麗な曲で、サウンドテストモードもありどの曲も記憶に残っている。シーケンスデータを画面に表示するサウンドテストはナカナカお目にかかれないと思う。

ファミリースタジアムシリーズ

 とか全部買ってそうな出だしで申し訳ないが、自分で買ったのは’89だけ。
 初代は友達の家で見た。俺は当時から虎党で全く問題なかったが、阪急ブレーブスファンの友達は南海・近鉄と一緒になっているレイルウェイズを見て「一緒くたになっとる・・・」と泣いていた。最初これは2〜3回やっただけだった。
 が、友達が’87を買ったので初代(’86版)をくれた。だから結構練習して、友達たちと対戦していたりした。Nチーム対Tチームでも俺が負け越してしまうくらい弱かったが・・・。’88が出る頃には中学に入り、別々の部活の関係でなかなか一緒に遊ぶ機会がなくなり、自然消滅的にやらなくなった。
 が、’89が出たころ、オヤジが出かけるついでにゲームショップまで車で乗っけていってもらったが、目当てのソフトが無かったので’89を買って帰る。実のところ第1候補は発売延期になっていたので第2候補の’89を買って帰ったのだが、買うときに「じゃあこれでいいや」と言ってしまったらしく(俺は覚えてない)、オヤジが本当に心配そうな顔で「本当にこれでいいのか!?」と5回くらい念を押していた。
 で、2ヶ月くらい遊んだが、結局対戦相手がいないので自然消滅的に足を洗った。それこそ毎日やっていたので兄貴とじゃ勝負にならないし、コンピュータは弱すぎたのですぐ飽きた。ぶっちゃけ失敗した。

 結局すっかりパワーリーグにハマってしまったので、ファミスタとはこれを最後に縁が無い。操作系統もちょっと単純すぎたということで面白みも無かったが・・・。

コナミワイワイワールド

 センセーショナルといえばこのゲームほど衝撃的だったものはない。何せコナミキャラ勢ぞろいの上に、簡単な操作と軽快な動作で、いわゆる横スクロールアクションものである。当時横スクロールアクションはあまり好きではなくて、スーパーマリオなどもあんまり楽しめなかった。悪魔城やグーニーズなどのコナミ系はそこそこ楽しめたものもあったが、このゲームは今でも楽しめる。
 二人同時プレイが面白い。実はこのゲーム、二人同時プレイで有利な点は何もなく、一人でやったほうが単純に倍のライフポイントを持つわけだから当たり前だが、あえて二人。すぐに体力がなくなったり、相方の上に乗ってしまったり、変身するときはシーケンシャルに変身するのだが、相方が使っているキャラををすっ飛ばしてしまうものだからゴエモンにするつもりがシモンになってしまったり。
 サウンドテストモードはエンディング後なので、エンディング直前のパスワードは当時メモ帳にメモっておいたものだ。

ポートピア連続殺人事件

 俺個人が初めて買ったファミコンソフト。我ながら変人だとは思うが、兄貴二人はアクションものばかり買ってくるので、バランスを取った結果ともいえる。
 で、パスワードやバッテリーバックアップといったデータ保存手段が使えないので、電源を入れれば常に最初から。だから、以前の続きを行うためには前回のプレイ内容をトレースすることが必要になる。メモるのもイヤで、必死こいて暗記したが良く考えたら無駄な努力だ。

 ポートピアといえばこめいちごだが、俺は2秒で謎を解いてしまった。なんかもったいないなぁ。

SDガンダムワールドガチャポン戦士スクランブルウォーズ

 SDガンダムワールドガチャポン戦士シリーズの2作目でくそ長いタイトルであるが、全て展開するとスーパーデフォルメガンダムワールドガチャポン戦士スクランブルウォーズになってしまう。さらに続編も発売されたが、そっちは短かった。1ターンに3ユニットしか動かせないという素敵仕様のシミュレーションゲームだが、これが結構バランスを保つネタになっている。が、大き目のマップだとコンピュータの思考時間が1フェーズで5分とかになっちゃうので困りもの。対人対戦はけっこうおもしろかったが。つい最近はGBAで遊べるファミコンミニシリーズとしてリバイバルされているが、コンピュータの思考時間が短くなってないので非常にストレスのたまるゲームであることには変わりない。

 このゲームといえば、中学生時代に某ミラノA.T.と何度も対戦したことがひとつの思い出ではあるが、ミラノは劣勢に立つとひたすらグフを生産してくる。そしてミラノが操るモビルスーツで最強なのはこのグフである。絶対おかしい。俺が下手なのもあるかもしれないが、やはりおかしい。ミラノに15年ぶりにメールを出したら、帰ってきたメールにこれが思い出だと言っていた。相変わらず変なヤツだ。

ファミコンウォーズ

 奇妙奇天烈なCMで有名なこのゲーム、SFCのスーパーファミコンウォーズのところでも書いてあるのであんまりゲームのことは書かなくてもいいかと思うが、実家の兄貴がこのゲームをやるときには必ずレッドの戦闘機を「イーグル(F15ではなくなぜかF16のことらしい)」、ブルーの戦闘機を「ミグ」と言って、全て脳内変換してプレイしていた。そんな兄貴は今海上自衛官なわけで、軍人というのはいろいろ大変なものだと思う。そのうち「露○」とか「チ○ン」とか言い出しそうで怖い。普段「○」とか言ってるしなぁ・・・・。俺は民間人でよかった。

独眼竜正宗

 小学生時代、今でもたまに会う同級生のJが持ち込んで、身近で結構流行ったシミュレーションゲーム。隠しフィーチャー満載で、時期(○年○月)と場所をあわせて正宗を配置しておくと戦争イベントが突発し、これに勝つとボーナスが出るという、それはもうむちゃくちゃなゲームだった。正宗で徳川家康倒しちゃうのかい!?

三国志 中原の覇者

 吉川英治の三国志を散々読んだのは13歳のときだったが、中学生時代にこのゲームを持ってきて同級生がこれで対戦しようといって、2週間くらいかけてやったもんだ。システムは単純だし、攻略という点では大して遊べなかった。ただ、捜索に出るときのアニメーション、あの猫背具合は、BGMが一瞬止まって効果音のみが静々と響くのも相まって、なんとなく笑える。

三國志シリーズ

 前述のナムコ三国志にあっというまで飽きが来たので、次は当然光栄の三國志ということになる。当時、ゲームに耐えられるほどのPCを持っていなかったのでファミコンでということになったのだが、このゲームはUIの面でPCより楽だった(と思う)。ただ、数字が太すぎて逆に読みづらかったりしたので、この辺はもうちょっと考えて欲しかった。

 で、こっちはナムコ三国志に比べて、設定も細やかで攻略に工夫もいるし自由度も高いので、かなり長い間遊んでいた。多分、友達が遊びにくるとき以外、半年くらいはずっとこれしかやってないんじゃないかと思う。最初は劉備で、次は曹操で、次は孫権で、袁紹・劉璋・馬騰・・・・・ナドナド。中盤になると、どうやっても攻守ともに5部隊しか出撃できないので戦線が膠着するし、終盤になると武将がどんどん死んでしまうのでかなり厳しいゲームだなとは感じた。特にシナリオ4まではミッション型のシナリオなのでそれなりにモチベーションが維持できたが、前述の通り全土統一となるとちょっと辛い。結局終盤は目標地域の太守を自陣営に引き込んで領土ごと登用するという作戦以外ではちょっとやってられない、という感じか。BGMは凄く気に入っている。

 そして三國志IIまではファミコンでやったのだが、せっかく自前で買ったのにも関わらずこっちは思ったより遊ばなかった。自由度が小さいというのもあるけど、やっぱり戦闘がきつい。共同作戦などで他国の力を借りないと、攻めるのに不利だったりする。遊ぶ時間が減ったというのもあるけど・・・。

信長の野望 武将風雲録

 日本史マニアのT君から「やりなさい」と貸し付けられた。といっても信長は初めてだし、こういうのは嫌いじゃないから結構やりこんだゲームではある。武田信玄・南部・足利でそれぞれ統一はしたが、結構きつかった。さすがに、当時身の回りで流行っていた里見氏で統一までは手が出なかったが(だって北条にすぐ潰されるんだもん)。武田信玄プレイ時のBGMは素敵だ。

蒼き狼と白き雌鹿 ジンギスカン

 光栄の歴史モノでは、じつは初プレイがこれ。第1部のモンゴル編から通して1回、さらに第2部からの4通りを1回ずつと、全ての方法でクリアした。第2部からだと、娘が少なくて血縁に頼れないので結構きつい。それに比べて第1部から通してプレイすると、国力も血縁も完璧の状態で第2部に入れるので、この場合は結構簡単に統一できる、と思う。第2部が始まる時点の国力は全14国の総合的評価で決定するので、第1部のできるだけ早い段階で13国を統一し、生産能力や特産品・食料・金をとにかく貯め、期限の1227年ぎりぎりにモンゴルを統一することが条件だ。もちろん、リザーブ将軍は全て血縁将軍、子息は全て娘にするという。そのため、1198年以降自身はオルドに足繁く通うことになるだろう(笑)。

 で、これは仲間内で対戦もやったが、時間がかかりすぎて決着が付くところまではいけなかった。というか、決着が付くまでできた人って、いるの? というか、そもそもコーエー歴史シミュレーションものって、いわゆるオンライン化以前のマルチプレイは敷居が高いよね?

キャプテン翼Vol.II スーパーストライカー

 おいら的あの頃ゲームを読んだら思い出したというかノスタルジーに浸ったので書いてみる。
 初っ端から裏技と言うかアレで申し訳ないが、「べじいた」で有名なアレである。もちろん俺はそんなものは見向きもせずにひたすら頑張っていたのだが、近所ではこれらを使ってさっさとエンディングに到達したことを威張る連中がいた。上のほうでも書かれている、年間10〜20本のソフトを親に買ってもらう御大尽なヤツであるが、ああ、彼は人生の楽しみをドブに捨てているに違いない(笑)。

 で、ナニが熱中したかってーと、メタルユーキが作曲したBGM群である。どれがそうだとは知らないが、このゲームは究極的にいいBGM揃いなので、まったくレベル上げ(負けたあとの再試合)が苦にならない。今でも打ち込んで遊んだりしているし、chiptuneの打ち込みに使うスネアは、このゲームから抜いたものを使ったこともある(笑)。
 ちなみに、テクモの着メロサイトではこのゲームを「某サッカー漫画のゲーム2」としている。まあ、楽曲はテクモが所有しているがタイトルはアレだからこういう表現なのだろう。着メロの質はというと・・・まあ、打ち込みシーケンスは、まあいい。音色が若干こだわりが出てしまっていて、端末によってはあまりイイ音で鳴ってはくれない。最も残念なのは、反則時のジングルが収録されていないということだ。メール着信に使いたかったのに(笑)。
 update at 2007.10.24

周辺機器

ターボファイル2

 アスキーが発売したターボファイルは、アスキー製の一部のシミュレーションゲームの外部記憶装置として発売された。単三乾電池二本でデータを記憶するこの商品、当時バッテリーバックアップは一般的ではないため値段が高く、また衝撃に弱い、電源ON/OFFのノイズに弱いなどの問題点から非常に有効な、現在のPSメモリーカードに通じるものであった。
 しかし店頭売りは殆どなく、通販以外で手に入れることは難しかった。しかし、ウィザードリィが対応したり、アスキー以外のゲームも対応し始めると状況は一変、ある種のゲーマーには必須のものになった。それと同時に容量が4倍のターボファイル2が発売され、小ヒット商品となった。 ウィザードリィ(Wiz自体もバッテリーバックアップ機能はあるが)のメンバーを記録できるほか、多くのアスキー製ゲーム、その他テクノスジャパン・バンダイ系等が対応したため、現在のFCエミュレータでも機能対応しているものが多い。
 そのTF2を俺は何に使ったかというと、頻繁に持ち出すウィザードリィやいただきストリートのバックアップ、パスワードが馬鹿みたいに長い破邪の封印、など。SFC用アダプタが発売されたあとは第4次スーパーロボット大戦などにも使った。

アスキースティックL5

 いわゆるグリップ型片手用コントローラ。ウィザードリィのマッピングをやりながらゲームが出来るという触れ込みだったが、俺はほぼすべてのゲームをこれでやっていたりする。余談だが、十字キーとボタン4個がついているだけのコントローラがなぜアスキースティックなのかは未だに謎。寒い季節に布団に包まった上で横になってゲームするためには欠かせなかった。

ジョイカードmk2(限定版)

 どうやって手に入れたか忘れたが、ハドソン社製でイヤホンジャック装備のジョイカードmk2。色はダークグレーで、ケーブル長がなんと2mもあったので狭い部屋での多人数対戦でまれに役に立つ。サウンド機能は隠れてゲームするときに役に立つかもしれない。
 FCの拡張端子はD-Sub15Pだが、本来の規格よりコネクタ奥行きが6mm程長いので、お手製の外部機器を自作しても本体と接続するコネクタは市販周辺機器のコネクタを引きちぎらざるを得ない。これが結構厄介で、市販周辺機器のコネクタはその製品が有する機能に必要なところしか配線されていない(接点すら入ってない)ので、自作派はつねに本体側を改造して標準のD-Sub15Pを装備するかどうかのジレンマに悩まされることになる。

外部端子分岐機

 すでにメーカーや名称すら覚えていないが、前述の外部端子の問題を解決するために使っていたアイテム。D-Sub15Pを2分岐するアイテムで、コントローラ等を2個繋ぐことが出来る(ただしコントローラ2個接続に対応しているソフトは殆どない)。本来の目的は不明だったが、近所のゲームショップで偶然見つけたので買った。
 基本的には15本の信号線をただ2分岐しているだけなので、信号線を共有するアイテム同士の接続は出来ない。ターボファイル+コントローラという使い方が一般的。ここに目をつけた俺は、D-Sub15Pの汎用メスコネクタを取り付け配線し、自作デバイスの取り付けに使った。もっとも自作したデバイスは、オーディオ信号出力装置だけだが・・・・。

現在

 88年にはPCエンジンがウチに来て、90年にはスーパーファミコンが登場。徐々にFCはその活躍の場が奪われていった。それでもDQ4・いただきストリート・光栄シミュレーションなどがあり、兄貴たちが89年には一切プレイしなくなり、俺専用機になった。
 それでも次世代機が増え、ソフトのリリースもなくなったFCが現役を引退したのは中学3年のとき。「いただきストリート」や「三国志2」も堪能し終わった頃、寮に入ることになりゲーム機は全て置いていった。隠れて持ち込むのも可能だったが、寮はTV自体が持ち込み禁止だったので、学校がそんなに遠くないこともあり我慢した。金曜の夜から日曜の夜までは自由だったので、寮から3時間かけて実家まで帰ってきてゲームやってたものだ。
 高専時代には部室のプレハブ長屋で少しだけ復活したり、先輩の家での暇つぶしに使われることもあったが、自分のFCは94年に廃棄処分となった。今ではエミュレータにその影を残すだけのゲーム機だ。
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