JUDstyle 四方山話(PCエンジン) All your MML R belong 2 us.
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since 8,Aug,1999

PCエンジン四方山話

 PCEに関する四方山話を。暇つぶしに書いたり、日記の移動だったりする。

購入した頃の流れ
ゲームソフト
周辺機器
現在

購入した頃の流れ

 これが家にやってきたのは1988年だったと思うが、上の兄貴がどこからか本体+ソフト数本を借りてきて、あとで結局買い取ったらしい、というところから始まった。本体は白い初代機で、ソフトはR-TYPEとパワーリーグ、ソンソン2、カトケン、+他数本だったような気がする。
 コントローラは1個しかなかったが、2個コントローラを装着できるマルチタップモドキと連射コントローラが増え対戦が出来るようになると兄貴がこれで盛んに遊ぶようになり、ソフトも増えていった。ファミコンもそうだったが、兄弟3人でゲームをやるようになると、ある日突然ソフトが増えているのも当たり前のようになり、誰が買ったのか、誰がどこからか借りてきたのかわからないがソフトが膨大に増える。PCエンジンはその最たるもので、一番多い時期には70〜80枚くらいHuカードが我が家に存在した。
 当時下の兄貴は上京していたので、上の兄貴の部屋にはPCE、俺の部屋にはFCという住み分けが完成していた頃だ。もっとも、俺はシミュレーションゲームやRPGに偏っていたので特に問題があったわけではなかったが、俺の家に人が集まったときはやはりボンバーマンをやりたくなるわけで、兄貴との交渉が始まる。兄貴は夜の仕事もあったから、夜からの仕事に備え寝ている部屋に忍び込んでPCEを強奪してきたときもあったが、これは何度か怒鳴りつけられた。

 ところが、1991年頃だったか、お大尽な友達が「PCエンジン本体欲しかったらやるよ」とか言う。わけを聞くと、PCエンジン要らんから全部ショップに売ろうかと思ったが、コントローラとACアダプタが壊れかけてるから買い取れんという。ただで本体をゲットした俺は、以後兄貴の部屋に忍び込むことはなくなった。
 このとき貰ったのはPCEコアグラフィックス、つまりダークグレーにブルーの文字、いわゆるAV出力装備機であった。

 さらに進んで1992年、寮に入った俺はコッソリTVを買い、ゲームがしたくなったので寮のそばの中古ショップでまたPCEを買った。3台目であるが、これはコアグラ2で、ダークグレーの本体にオレンジの文字。ソフトは小さくカードサイズだったため、週末実家に帰ったときに回収してきた。CD-ROM装置こそ買わなかったが、同じゲームのハードを3個も買ったのはこれが最初かつ最後であろう。(余談だが、他にも本体を買ったことがあるが後述)

 ソフトのラインナップ的にも、またハードや基本ソフトの作りから見てもハドソンの色が強い。ゲームソフト媒体は「Huカード」だったり、周辺機器もハドソンが精力的に展開していたりと、ハードベンダーこそNECだが実質ハドソンのハードといってもあまり違和感はない。ハドソンは長らくSHARPのパソコンOSを作ったりソフトの下請けをやったりと技術力的にも申し分のないところだったが、営業的にハドソンがここまでがんばったのは今見ると驚きである。

 よく言われることであるが、PC-Engineと書くと、同じ日電のPC-88VA/VA2/VA3に内蔵されているOSの名前になってしまう。PCEngineと書くように気をつけよう。結構間違えている人、多いぞ。基本的に俺はPCEまたはPCエンジンと書いているので、俺的には全く問題なし。

ゲームソフト

R-TYPE

 PCEの初期で一番人気のあったのはやはりアイレムが開発しハドソンが移植したR-TYPEだろう。当時ゲーセンでR-TYPEをプレイしたことはあったが、結局2回しかできなかったし、近所にはなくて電車乗らないと行けないため自分の金のなさを嘆いたものだが、これで何度でも遊べるぞと意気込んだものだ。
 開発に時間がかかったのか、Huカードの容量不足もあったため前半後半4ステージずつ別のパッケージで発売、それも後半は1〜2ヶ月あとの発売だった。都合1万円オーバーという信じられない値段だったが、家庭でR-TYPEができることを考えれば無茶な値段設定ではなかったし、光栄のFCゲームは\9,800というのも珍しくなかったからすんなり受け入れてしまった。今考えてみるととんでもないことだが。
 オリジナルのR-TYPEと比べてみるとアラが目立つところもあるが、プレイ感覚は殆ど差がなく、事実上PCEの高スペックを示すゲームとなった。6面最後だけはオリジナルには存在しない変なボスが登場するが、却って良くない気がする。ドップをかわしただけで終わりの6面じゃ納得できなかったのだろうか?

ラビオレプススペシャル

 横スクロールシューティングであるが、ギミック的には今ひとつ。ライフ制だったり、自機前面近くに敵がいると弾ではなくパンチを出して攻撃するとか、ボムシステムを取り入れたりだとかいろいろ試している感じはするが、作りが甘いという感想が最初に出てくる。パワーアップアイテムやリペアアイテムがたくさん出てきてゲームの進行もそんなに難しくはないのだが、画面の下半分でアイテムを持つ敵を撃墜するとアイテムが画面外に消えてしまうだとか、ちょっと練りが足りない。
 が、中学3年の受験終了(俺だけ国立が第一志望だったので、公立よりひと月以上早く受験が終了してしまった)後ヒマが出来てしまい、仲間内の殆ど全員が公立高校を受験するので誘えず、一人でゲームに没頭する期間であったため、この程度のゲームでも結構楽しめた。いまやってみると非常に楽しめないゲームではあった、不思議である。しかも、とても難しい。

 余談だがその受験終了後1ヶ月は他の皆が受験前だったので普通に授業をやっていたが、自分だけは受験終了していた状況。カリキュラムを消化している教科は受験対策と質問応答の時間だったが、俺はすることがなく、他の奴の邪魔をされても困るという意味で「寝ていろ」とまで言われたことがある(笑)。
 公立高校の受験票を配る際にも、滑り止めに出願していた公立をキャンセルしていなかったため俺の受験票までが中学校に届けられていた。教室で全員に受験票を配る際、担任が受験票を一枚、わざと落として「あ! 落ちちゃった! 手が滑った! あ〜、JUDの受験票だ。よかったな、みんな。皆の身代わりになって落ちてくれたぞ」という、とても笑えない冗談を炸裂させていた。笑っていたのは既に受験が終わった奴らだけだったのは言うまでもない。

ガンヘッド

 89年にハドソンゲームキャラバンで採用されたゲーム。プログラム開発は今は亡きコンパイルで、ザナックの香りを漂わす出来になっている。ハドソン伝統の縦シューティングでだが、処理落ちやゲームの間延び感など評判は良くなかったし、家庭用にはスコアアタックモードが存在しないなど出来はいまいち。
 誰かに貸してなくなったのか引越しでなくしたのか、今は持っていないがキャラバン仕様の黒ロムを持っていた。が、殆ど遊ぶ間なく無くしてしまったのが残念。

スーパースターソルジャー

 90年のハドソンキャラバンで使われたゲーム。開発が順調だったのか、製品版での大会開催となったらしい。縦シューが苦手な俺が唯一やりこんだ縦ゲーとしてハドソンシューティングは特殊だったわけだが、このSSSはゲームとしての出来もよく、長く遊んだ。メーカーが前年ガンヘッドを開発したコンパイルからカネコに移り、スコアアタックモードの標準装備や難易度設定、良質なBGM・演出もあり評判は高かった。
 中学2年当時これに非常に熱中し、仲間内でスコアを競い合ったゲームでもありよく記憶に残っている。
 セレクトボタンに変速が割り当てられていたが、変速の際のバックファイアーが8発相当の攻撃力のあるものだったため、これが攻略の必須テクニックにもなったのは有名で、標準コントローラでの操作に無理を感じる。またNEC標準連射コントローラの連射速度とは相性が悪く、自宅スコアラーはアナログ変速連射をもつアスキースティック等を常用していた。これはセレクトボタンを押すために持ち替えがいらないということもあり非常に重要なファクターだった。

ファイナルソルジャー

 91年のハドソンキャラバンがこれ。盛岡のプレ大会でスコアを出して景品を貰った記憶がある。余談ながら同時開催であるファミコン版ボンバーマン大会の賞品は「高橋名人の冒険島」のカートリッジだったが、帰りに中古ゲーム屋で叩き売って山分けした記憶もある。
 俺の好きな唯一の縦シューシリーズではあったものの、これは思ったほど気合が入らなくて仲間内でもスコアアタックは流行らなかった。というのもほぼ同時期にピークを過ぎたもののF-ZERO真っ盛りであり、全員がそちらに注力していたこともある。
 肝心のゲームの出来次第というとこれも今ひとつパッとせず、SSS程のセンセーションにはならなくても当然か、というところ。また、当時流行の兆しを見せ始めていた「弾避けゲー」の影響もあって、弾はたくさん出てくるが今ひとつワンパターンだったりするということもその原因の一つ。

カトちゃんケンちゃん

 すでに正式なタイトルすら忘れていたが、俺が好きな数少ない横スクロールアクション。この頃のPCエンジンはデカキャラが売りで、このゲームも限界ぎりぎりまで大きい。加藤と志村でキャラ性能が違うとか、ステージジャンプとか、隠し要素が一杯あってまるでスーパーマリオみたいだ(笑)。
 兄弟でムキになって攻略したゲームで、スロットの目押しや大ジャンプのタイミングなど、よく出来たゲームではあったものでかなり熱中した。が、空中面の難度は非常に高く、白亜R氏をして「当時は『ここから先はROMの中に入ってないに違いない!』と言っていた」と言わしめた程だった。

魔境伝説

 長めで難易度も高めの横スクロールアクション。動きも滑らかかつスムーズでラビオレプススペシャル同様、受験終了後のヒマな時期にプレイし始めたゲームだったため予想以上に熱中。パワーアップ如何に関わらず、斧を振る動作やそのタイムラグが絶品で、お気に入りゲームのひとつ。続編は出たらしいが・・・・?

ボンバーマン

 対戦でよく遊んだのはPCエンジン初代。後発はルールが複雑すぎて単純に楽しめなかったりする。中学3年当時、受験前によく自分の家に仲間が集まってボンバーマン対戦していた。当時(というか今でも)圧巻だった、5人対戦のゲームとしてその存在は大きい。ちなみにPCエンジンGT同士でも対戦が出来るが、やったことはない。
 ちなみに我々の仲間内では「髑髏パネルは任意」と明確に触れ回っていたのに、出ると必ずこれを取る輩が大半。出たら出たで「え〜っ、出ちゃったよ」と言いながら、まるで義務であるかのように髑髏パネルを拾う姿を見た当時のゲストたちは「髑髏パネルは義務っすか!!」と仰天していた。ちなみに俺は自分のパワーアップ状況が有利だったら取らない、不利だったら取って伝染させる日和派。
 当時、自動製氷機能付き冷蔵庫「かってに氷」がバンバンCM流していたもので、仲間内では髑髏パネルを取って爆弾強制設置モードになると「冷蔵庫!冷蔵庫!」とか騒いだりした。
 また、別の連中は「○○○漏らしとる〜」とか言っていた。新たに髑髏パネルを取得すると、また新たにランダムで何かの状態になるので、「オムツオムツ」とか言いながら別の髑髏パネルを拾っていた。実に下品な連中だ。しかもそういうときに限って症状は改善されないものだ・・・・。

パワーリーグ

 88年にハドソンゲームキャラバンにもなったゲームだが、かなりやりこんだ。盛岡の大会で優勝した頃が懐かしいが、守備画面が真上からのビューというかなり特殊な部類に入る野球ゲーム。当時ハドソンは「パワー×××」というシリーズを展開していて、他にもテニス・サッカー・ゴルフ等が発売された。ちなみにパワーイレブン(サッカー)とパワーゴルフは結構面白かった。
 が、パワーリーグ2になって真上ビューは廃止、いろいろとミニゲームや隠し要素がついていくものの、当時第二の野球ゲーム氾濫期であったため、やがて人気を失い廃れていった。真上ビュー廃止は本当に残念だった。
 ちなみにこのゲーム意外と奥が深くて、打撃のときは方向キーでバッターボックスの立ち位置を決めて、ボタンを押してスイングを開始した後、更に方向キーで引っ張り・流しを選択できたのだ。右バッターを例にすると、スイングを開始してから左にキーを入れるとスイングスピードが速くな(ったような気がする)り、インパクト時に左に球が飛びやすくなる。流し打ちも同じ。だからとりあえずど真ん中でスイングを開始して、遅い球だったり投手が内角に曲げて来たら引っ張り、速い球だったり外角に曲げてきたりしたら流しのキー入力を行うと、面白いように打てる。少なくとも、これを知ってる人と知らない人の間では試合が成り立たないくらいのテクニックがあった。まぁスイングスピードの加速減速は錯覚だったかも知れんが、飛距離や球足の早さには明確な違いが出たことは間違いない。

ポピュラス

 90年、埼玉で親戚の葬式があった際に強引に連れてこられた(兄貴たちと爺さんは留守番)ときに買ってもらったものである。欲しいとは思っていたが価格が馬鹿みたいに高く諦めていたのだが、秋葉原に買い物に行ったオヤジの荷物持ちでお供をした際に「なんか欲しいもんあったら遠慮なく言え」というものだから、遠慮なく買ってもらった。葬式のためにわざわざ上京して、お袋は埼玉で親戚の相手をしているというのに、オヤジと俺だけ秋葉原。困ったものである(笑)。ついでに電子部品とかもいろいろ補充してもらったような気がする・・・。
 で、Huカードからして既に怪しい(ゲーム容量が大きすぎてカードの厚みに収容しきれず、カードの手前半分に盛り上がりがあった)このゲーム、マニュアルも厚ければ動作もモッサリ系で、なんとかして楽しもうと思ったが意外と飽きるのが早くひと月経たずに放り出してしまった。というのもやはり操作性の悪さもあるし、いまいちこれといってハードルが用意されているわけでもないのでモチベーションの維持が難しかった。レミングスみたいな謎解き要素もないので、当時発売された環境シミュレーションのなかでも出来の悪い部類に入るだろう。

ネクタリス

 月面での戦争をシミュレートしたいわゆる戦争シミュレーションだが、かなり局地戦術的なゲームになっている。生産という概念などないし、ちょっとしたことが有利不利となってそのまま形勢が決まってしまったりする。ターン制ながらリアルさはともかくゲーム性は非常に高く、楽しめるゲーム。
 で、ネクタリスの好評をまったく無視したかのように、後年SFCにて「EARTH LIGHT」が発売されたが、ゲーム自体が中途半端で、SFC最初期に出たゲームであるにもかかわらずまったく売れず。近頃PSで復刻したりしているが、今でも名作のひとつ。
 ちなみに、メーカーサイトにてPC版が無料ダウンロードできる。

ガイアの紋章

 PCエンジンは当初データバックアップ手段を持たなかった。FCのようにカートリッジ内部に記録するためにはHuカードは大きさに余裕がなかったし、フラッシュメモリはそれだけで単価を数千円引き上げるものであったため、天の声2が一般化するまではゲームの中断と再開を文字列によるパスワードに頼ることになる。結果として、PCエンジン初期のシミュレーションゲームはコンクエスト(征服)ものを細かく区切られたステージごとに攻略する、というようなスタイルの作品が多かったが、これが却ってネクタリスなど名作揃いと評されるシミュレーションゲームの流行の一因でもある。

 というわけで、実は自分で初めて買ったPCエンジン用ソフトが、これである。兄貴たちが先にシューティングを中心にゲームを入手していたので、ラインナップは十分と判断し、自分しかやらないであろうファンタジー系シミュレーションを買った、というわけである。
 ゲームとしては1画面に収まるほどのマップを順にクリアしていく形であるが、クリア時の生存ユニット数や所要ターン数により、次のマップで自軍ユニットを配置するためのコストになっているため、序盤からいい加減にゲームを進めると必ず中盤で詰まるようになっており、攻略に断念するプレーヤーが続出したゲームである。単発シナリオも含め、多分100時間は遊んだゲームであろう。
 余談ではあるが、メサイヤのNCSブランド時代(つまりゲーム部門切り離し前)の葉山宏治が音楽を手がけたゲームである。葉山は超兄貴でブレイクしたが、葉山ファンであればこのゲームのBGMを一度聴いてみるのもいいと思う。あるいは超兄貴よりも葉山らしさが出ているだろう(と思う)。

F1サーカス

 90年に発売された、PCエンジン歴代2位の売上数を誇るF1ゲームである。Huカードでは最高であり、当時のF1ブームも手伝ってよく出た。というか、この頃はF1ゲームは出せば売れた状態だった。前年、マクラーレン・ホンダが16戦15勝、90年もマクラーレン・ホンダのセナとフェラーリのプロストが競るという、一部のファンのみに理想的な展開。週間少年ジャンプがハガキよりも小さいサイズのロゴをマクラーレン・ホンダのノーズに100万ドルで貼り付けたという伝説めいたことまであった。
 当時F1ゲームは大まかに4つの方向性があり、(1)リアルに作る(2)楽しめるようにデフォルメする(3)有名レーサー監修(4)とりあえず柳の下のドジョウ、という4パターン。F1サーカスは堂々と(2)を選択し、とにかく売れた。ちなみに俺は(1)路線のF1トリプルバトル派だったのであまりやりこみはしなかったのだが、とにかく気軽に遊べるという唯一無二のセールスポイントが功を奏した。
 これは仲間内では概ね支持された。1周10秒そこそこを10〜20周、1レースが3分とかで終わる。いわゆるトップビュータイプで、画面の上にしか走ってないのにコースを回っていることになるから、再現性などクソ食らえ、ブレーキングも知ったこっちゃないという操作性があったし、何より簡単だった。これ重要。
 システムの明らかな欠陥をつく攻略があったせいで、俺はちょっと興ざめしてたんだけどね。今まさにブレーキングして曲がろうという車の前に、無理矢理自車をねじ込むと、スリップストリーム判定がONになり、相手の車が加速して曲がりきれず壁にぶつかる。これを繰り返すと、完走1台とかも当たり前。ひどい。

F1トリプルバトル

 89年HUMANが発売したゲーム。水平分割で3人同時対戦というのがウリで、独りでも楽しめる。
 これはF1サーカスの項目で示した4つの方向性のうち(1)リアルに作る、という正統派だった。なにせ1周のラップタイムが実際のF1に非常に近い。ブレーキングポイントやハンドルの切り込みもかなり正確に再現されている。これでF1モードだと12周だから、下手をすると30分近く走りつづけることになる。Qタイヤの存在やエンジンの性能など細かいところまで作りこんであるのがいい。ターボエンジンだと極端に立ち上がりが悪いくせにOTが3回まで使えるだとか、そのくせ予選ではOT常時ON設定で爆速どっかんターボだったりとか、レブリミットまで吹けあがるV12とか、低速からドカンと来るV10とか。

 で、これらのエンジンの音がまた特徴的で、フェラーリとホンダとランボルギーニの音はPCエンジンの限界に挑戦している感じ。これが3人プレイに効果的で、モノラル音声で3人対戦していても、自車のエキゾーストがはっきり聞き取れるという点で非常に効果あり。3人ともホンダマニアだった場合は別だが、そのときはタコメータみればいいだけだし。

 余談だが、(他のメーカーもそうだったが)正式に許可をとっていないためレーサーとエンジンの名前は微妙にアレンジしてあったのだが、F1トリプルバトルの名前アレンジが一番面白かった。フェラーリ→モエラーリ、ランボルギーニ→段ボールギーニ、コスワース→ブッ壊ーす、ヤマハ→邪魔派、ホンダ→ぶっ飛んだ、他多数。
 レーサー名はもっと悲惨なもので、アレジ→アレンジ、マンセル→キャンセル、セナ→セスナ、ブーツェン→ブーイング、ギンザーニ→シブヤーニ、アルボレート→アルバイト、ピケ→チケット、チェザリス→キザです、鈴木→頭突き、そして我らがアラン・プロストはアラン・エンストになっていたというわけだ。なお、勘のいい人は既に気がついていると思うが、ゲーム中の表記は全て英語(というかアルファベット)表記なので、脳内フィルタを全力で動かせばそれらしく見えるというのがまた救いであった。F1マニアを自負する人は是非一度このゲームをやって見て、全ドライバーとエンジンにピンと来るか試してニヤリとしていただきたいものだ。でもやっぱPIQUET→TICKETはひどすぎるよなぁ。

 96年にはジャック・ビルニューブがゲームでコースを覚えたという逸話も当時TVで話題になったりもしたが、90年当時の俺は詳しく知らないコースをこれで丸暗記してからTV中継に望んだものだ。オフトピック気味だが95年にはPSのフォーミュラ・ワンというゲームで新しくコースを覚えなおしたが、結局95年以降に追加されたコースをあまり詳しく知らない(笑)。今イタリアのサーキットはシケインまみれになってるし、ドイツのホッケンハイムとかニュルブリクリングなんか全然違うサーキットになっちゃってるもんな・・・。

ゼロヨンチャンプ

 ゼロヨン、つまり車の加速性能を競う直線400mのストリートレースのゲームだが、金を稼ぐ→車を買う→金を稼ぐ→車を改造する→レースでランキングをあげる、これを延々と繰り返す。レースがあっという間に終わるのでちょっと嗜好が車の改造に偏っている人には好かれているようだ。
 が、金を稼ぐためのアルバイトや車の購入・改造にいろんなエピソードやミニゲームが入っており、かかる時間の割には思ったほどヒマには感じないゲーム。レースシーンも、直線だけということから右側のボタンがアクセル+クラッチ、左側の十字キーでシフトレバーを操作するという、ある意味奇策だったがこれが大当たり。シリーズ化されている。
 しかし真の面白さはやはり全篇にちりばめられているパロディ・お笑いで、このゲームをやって笑える人は結構多いはず。たとえば警備員のアルバイト中に泥棒と遭遇すると戦闘になるが、予めカー雑誌の通販でバットと鎖帷子(これは「チェーン」にかけている駄洒落だろう)を買っておくとか、戦闘シーンのBGMがDQ3とFF2の戦闘BGMをパクってメドレーにしているだとか、軽量化しようと思い通販でアルミホイール(つまり軽いタイヤホイール)のつもりでアルミホイルを買ってしまったりだとか、細かいネタには事欠かない。
 またネタ的BGMは別にしても、BGM全体としては荒削りながらかなり良好な作りでお気に入り。いつか曲をアレンジしてみたいものではある。

バブルガムクラッシュ

 まさに名は体をあらわすのごとく、ゲームバブル期に発売されたいわばアドベンチャーゲーム。というか、バブルガムクライシスのダウンスケールのゲーム化ということで一部のコアなマニアのみに支持されるという悲惨な運命を辿るが、所詮はそれなりの出来。ゲーム中には飽きさせないようにする演出なのだろうか知らないが、ミニゲームが盛りだくさん。しかしそのミニゲームがぶっちゃけ面白くない。ダンジョン探索も無意味に難易度高すぎ。ここまで全体の質が低いと、戦闘が魔導物語風というか、数値が出ないタイプなのが逆にむかつくとも言える。

 かなり粗製濫造の香りを漂わすゲームであるが、唯一の救いは当時その程度の出来のゲームは掃いて捨てるほどあったということである。意地になって攻略した記憶があるが、はっきり言ってあんまり覚えてない、つまり印象にすら残ってない。

周辺機器

天の声2

 PCEはソフトの供給がHuカード、つまりICカードで行われたため、ファミコンのようにバッテリーバックアップをソフト本体に内蔵することは出来なかった。また、当時の技術的状況からみて、フラッシュメモリはまだ小型のものではないし高価だった。そこでPCEの拡張バスに装着する外部メモリーが発売された。
 発売元のハドソンは、当時桃太郎伝説シリーズやその周辺シリーズである桃太郎電鉄などを展開していた。FCでも発売された桃太郎伝説はデータバックアップのギミックは存在せず、パスワードでゲームの進行を保存するものだったがPCEにおいてもそれは例外ではなく、外部の長期メモリ装置はやがて必須になる。そこでこのバックアップメモリには「天の声2」という名前が付けられた。
 今でいうPSのメモリーカードのように、ひとつのメモリーにたくさんのゲームデータがセーブできるようになってはいたが、単三乾電池2本を使用するため、うっかりデータが消えてしまうこともあった。が、電池金具は思いのほか強靭で、内部にもキャパシタを噛ませているのか、床面に落としたくらいではびくともしないという心強さがあった。

 ただし、初代の白PCEにこれを装着すると、AV出力、つまりステレオ音声+NTSCビデオ出力が出来なくなってしまうため、なかなか困りもののアイテムではある。白PCEに装着するAV端子出力装置と同じ端子を使用するため。

マルチタップ

 それまでゲーム機というものは、本体に付属しているコントローラが即ち最大接続数であることが多く、ファミコン等においてもごく一部のメーカのハードとソフトだけがそれ以上のコントローラに対応していた。たとえばFCは本体に2つ、通常は拡張端子につないだコントローラが1コンと認識されるが、3人プレイの場合は3コンとなる。テクノスジャパンやアスキーだけは4人同時プレイというものを念頭においていたようだが、記憶ではテクノスジャパンのドッジボール部くらいしかなかったような気がする。
 が、PCE本体に付属しているコントローラは1個、しかも本体には1個しか接続端子がなく、2個以上の接続を行う場合はマルチタップ等がなくてはならなかった。ただ電気的に分岐しているのではなくシリアル転送を行っているため、コントローラそのものに加え高価なマルチタップを買ってまで多人数プレイで楽しもうとはなかなかいかないのである。
 そこでまず最初に買ったのが、2個だけコントローラが繋がるマルチタップモドキ。最初は対戦ゲームが「あっぱれゲートボール」と「パワーリーグ」しかなかったためそれで不満はなかったが、「ボンバーマン」「ダンジョンエクスプローラ」ときたらもう2人では満足など出来ない。結果的に高い買い物になった。

 現行品のゲーム機でもPS2だけはコントローラ端子が2個しかなく、複数でゲームを行うときにはマルチタップがなくてはならず不便な思いをするが、一人で黙々とやるゲームしかないわけじゃないのだからもうちょっと考えて欲しい。コスト的なこともあろうが、Xboxや任天堂ゲームキューブ、現行品じゃないがドリームキャストやニンテンドウ64だってコントローラ端子は一杯付いているのに。
 マルチコントローラといえば、多人数で操作するゲームで、コントローラをいくら繋いでも1コンだけが使用可能、としたゲームが昔から散見されるが、まったくもって怪しからん話。ゲーム開始時にプレーヤーによって選択できるか、動きの激しいものでなければどのコントローラでも操作できるようになっていなければいけない。

ターボパッド

 最初にPCEを手に入れたときに、初代の純正パッド1個と、このターボパッド(白)がセットになっていた。ボタンの真上に連射スイッチがあって、OFF/LO/HIが切り替えられる。今現在のゲームコントローラではボタンが多く場所が狭すぎて不可能ともいえる贅沢なデザイン。R-TYPEなどは連射するか押しっぱなしにするかが即座に切り替えられないとダメなので、人差し指でガリガリ切り替えていた。が、その分製品寿命を縮めることになった。分解して接点ブラシを洗浄して形状復帰を行えば2回くらいまでは再生可能であるが、あまり乱暴に切り替えると接点位置を固定するプラスプリング自体がダメになってしまう。

 この他、更に1個の白ターボパッド、アスキースティックエンジンとPCコマンダー(後述)を含めて5個のコントローラに達し、めでたくボンバーマン5人プレイが可能となった。
 また、95年頃にはPCエンジンのコントローラを新品で買うよりも中古のPCエンジンコアグラを買うほうが安く済むという状態になってしまい、壊れたコントローラの代替に本体を買ってくるという本末転倒になってしまった。中古ゲームショップに行けば本体は中古で千円くらいだったから。

ホリ電気 PCコマンダー

 まんま、ホリコマンダーのPCE版。実はホリコマンダーのデザインはは好きではなかったのだが、バリオームによる無段階連射速度変化のためだけに買った。というのも、純正のターボパッドの連射をONにすると弾が出なくなる(というか出たり出なかったりムラが出る)シューティングゲームとかあったもんで、そのために買った。

アスキースティックエンジン

 アスキースティックのPCエンジン版、というミもフタもない表現だが、FC時代から伝統のデザインで、ボタン配置も硬さも重量も及第点、値段的にも悪くないしアナログ調節の連射スイッチもあるので、当時はそれなりに売れたようだ。これを買ったのはR-TYPEのためで、先にゲーセンでやったがためにスティックでないと思ったように動かせないと感じたから。
 当時は十字キーでシューティングゲームというのが実はダメで、ただ嫌いだっただけでなく下手だったというのもある。実は縦も横も、シューティングはゲーセンで先にやったクチなので(今は全然OKだが)十字キーでのゲームは苦手であった。ドラスピやR-TYPE等、PCEはシューティングが非常に多かったので、良質のジョイスティックは欠かせなかった。
 このアスキースティックエンジンには、実はRUNボタン連射機能というのが付いていて、R-TYPEで使用すると絶大な効果を発揮する。約5倍くらいのスローになるため、誰でも2週ノーミスクリアとか出来てしまうわけである。

現在

 スーパーファミコンのゲームが出揃う1991年頃までは盛んに使用していたが、それ以降はすっかり出番が減った。学生時代はほぼボンバーマンのみのために保持していたが、コントローラの相次ぐ故障もあり、維持できなくなり現在は3台とも処分してしまい、ソフトだけまだ数十枚残っている。エミュレータでほぼ全てのゲームが動作するので、ソフトも廃棄予定。
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